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2006年4月20日 (木)

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この文章は< 無駄の中の大事 >
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  『ママの神様』の感想が中途半端でごめんなさい。何回も読み返すから時間がかかるのです。頭が悪いので、繰り返し読まないと連想と感情移入がうまくいかないのです。一日に2~3ページしか進まないから、次に読むときには前に読んだページの復習から始まるので、遅々として進まないのです。また、読書する時間も余りとっていないし、優先的に調べものに時間は割り振られるので本自体を読まない日もある。このトラックバックを書くのはあまりネット上の文章を読むのは時間と脳みそを使わなくてすむからだ。本を読むとき、なぜあんなに脳力がいるのだろう。本になれていないせいか?そんなことは無いはずだ。私は高校生で電車通学をしているとき、途中下車して本屋さんで3時間くらいは立ち読みしていたし、土日に本屋さんにいけば6時間ひたすら夢中になって立ち読みをしていたのだから、本に対して親しみはある方だと思う。ただ、やはり、選んでいた本は実用書やそれに近い類の本だった。感受性をはぐくむ類の物は読む気も起きなかった。ひたすら世の中の真実が知りたかった。しかし、今現在は感性の大切さを認識し始めている。この年になってやっと情緒や心の動きに 素直な 関心を持つことができるようになった。強烈な失恋を経験して何が悪かったのかを考え、いろいろな人からのご鞭撻を受け、< 無駄の中の大事 >がようやく判り始めてきた。「五木寛之著 何のために生きるのか」「同著 生きるヒント」などを読み始めていたが、室井佑月さんの著作に出会い衝撃を受けた。小説のような【嘘】の文章からも【本当】が得られる事もあるのだと知った。私は実用書類ばかり読んできたので、人と話をするときに困ることがある。感性が低い為に話のポイントを外しやすいのだろうと推測している。コミュニケーションが下手な訳です。
決して無駄なことが嫌いだったのではなく、なにかどこかが健全で無かっただけです。無駄なことは大好きだったのだけれど、その興味はすべて実用書類や歴史書類に向けられただけのことで、小説類には興味がいかなかった。おそらく人間関係に興味を持っていなくて、自分と世界という枠組みに興味を持っていたのだと思うのです。少し前に「黄文雄著 日本人が知らない日本人の遺産」という本を読みたくて買いました。難解でなかなか読破できません。このたぐいの本は今でも大好きです。日本文化を知りたくて、お茶の教室に1月から通おうと思ってましたが、時間がとれなくて叶っていません。そういった物だけでなく、これからは小説や詩などを身につけていきたいと思う今日この頃です。
 『ママの神様』がまた少し読み進みましたので、感想を追加記入します。
<<2006’4/20>>
なんとなく追加記入したくなったので書いてみます。私は水しか飲めないのですが、ときどき、7500円の水を飲みに行きます。なぜかお勘定は2人分の15000円だったりします。言いようによれば無駄使いですが、死に金だとは思っていません。<無駄の中の大事>は私なりに分かる部分も多いと思っております。他にいろんな無駄な事しましたね。仙人になる修行とか・・・・・

6時間一歩も動かず立ち読みしたときは肘の関節が80度くらいで固まってしまって、動かせるようになるまで少々リハビリがいるんですよね。<<2006’4/30追記>>

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