『ママの神様』感想
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(追記もしつづけます) 室井佑月さんの本を3/24通販のアマゾンで注文しました。翌々日には届きました。「ママの神様・ああーん、あんあん・血(あか)い花・子作り爆裂伝・Piss(ピス)」の5冊を合わせて買いました。とりあえずママの神様を読み始めたのですが、ブログによれば、今までの著作とはひと味違った物であるとのことだったので、たの著作を先に読むことにしました。「子作り爆裂伝」と「ああーん、あんあん」はノンフィクションのようなので大変面白く、私が好む本でした。・・・私がこれまで読んだことのある小説といえば、「天と地と」くらいかな。十代のときから、もっぱらノンフィクションしか読まないので、小説とか架空の人物などが文中にでると違和感を感じてしまいます。でも、有る程度マンガは読めます。しかし、TVドラマは好きではありません。映画もあまり好きではありません。どういう基準で好き嫌いが有るのか自分を掘り下げてみたくなりました。・・・短編集「血(あか)い花」・「Piss(ピス)」は少ししか読んでいませんが、かなりショッキングな表現方法にカルチャーショックを受けました。しかし、短編「Piss」だけは読みました。残りのページをめくるのが怖くなって読み進みません。表紙を見つめてばかりいます。とりあえず、「ママの神様」を読んでみました。まだP105までしか呼んでいませんが、率直に言って、「ママの神様」の前後になぜこのような、「おもろい夫婦」「チコウ少年と呼ばれて」のようなホラー作品を配置したのか理解に苦しみます。私としてはこの2つのホラー作品は全く**だと思います。室井佑月さんの歴史から削除すべきではないかとさえ思います。短編「ママの神様」には僕の好きな真実のエッセンスを感じます。これははっきり言って僕の好みです。短編「水槽の中の小さな魚」は僕には理解できない部分があります。子猫の扱いです。これだけは全く分かりません。どうしてだろう。
<<<ここまで2006’04/12記述>>>
続きを読みました。最後まで読みました。P109以降の短編は官能有りでしたね。官能表現が全くなしだと思っていたのだけれど、なんだ、やっぱり筆者の得意分野はこれなんだと改めて思いました。やはり得意分野にはパワーがあり、真実を感じるから違和感はないし、感情移入もできる。漫画や映画、ドラマなどは絵や映像で配給されるから、想像・連想・感情移入が容易いが、小説は文字から脳の中で映像を自分で想像・連想し作り出さなくてはならないから、感情移入できるかどうかは違和感なくその想像世界が構築出来るかどうかにかかっているのではないでしょうか。想像世界が構築できたとき、私は自分とは別の人生を少し疑似体験することが出来る。
男の心理の描写は半分だなと感じる。鋭いところをついていると思うところもあれば、安易で強引なこじつけだなと思うところもある。特に男の暴力において筆者には未知の領域であるのかもしれない。
最後まで読んだ感想としては、室井佑月さんの書く小説は、本当の部分とと嘘の部分とが分かるような気がする。ここが言いたかったことだとか、話を創る上でしようがなしに書いたところとが結構はっきりしているのではないでしょうか。嘘がつけない性格なのではないでしょうか?上手な嘘をつくのが得意だからと、どこかに書いてあったけれど本当にそうかなと思ったのでした。未完成を感じる部分もあるが、文章中の本当に言いたいところがよく分かるのでとても感情移入しやすく、筆者の優しさが目の奥に残る喉越しのいい読み物でした。
<<<2006’4/21更新>>>
小説における本当の部分とと嘘の部分という表現をしてみたけれど、本当の事象を表現する為に解りやすく変形させる事から創られた嘘Aと、嘘と嘘を繋ぐために創った嘘Bという具合に訂正したい。嘘Aと嘘Bは明らかに質が異なり、嘘Bには違和感を感じやすく、見抜かれないように創ることも難しいことなのではないでしょうか。
<<2006’4/22更新>>
武道について。武道は平時に於ける緊急事態に対処できる体質を得られる他、武道はコミュニケーションを練習する場でもあります。ボディランゲージとか、以心伝心とかいう人と人の雰囲気の感じ合いがあり、作法は重要視されます。決して殴り合いの喧嘩の技術のみが養える狭い所ではありません。だから武道は文化であると武道家はすべからく言うのです。私は社会適応能力の大部分を武道で得ました。武道に触れたことがなかったり、触れ方が浅かったりしたときは、その人は素人相手に暴力として武道を使うかもしれませんが、一旦武道に触れた人は武道を素人相手や無防備な人相手に暴力に使うことはまず出来ません。拳、その使い方は身をもって知っているからです。身体の芯に染み込んだ物は少々頭がバカになっても狂うことはないと私はそう信じていますし、確信も持っているつもりです。<<2006’4/30追記>>
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